1分で分かる!干物の歴史

1分で分かる干物の歴史、レッツ・スタート!

 

奈良時代、干物は献上物の1つでした。

当時は輸送手段が発達していなかったため日本全国の魚を都に納めるのが難しく、干物にして保存性を高めていたようです。

小魚の丸干しは「きたひ」、内臓を取り除いた干物は「あへつくり」、魚を細く切った干物は「すはやり」と呼ばれていました。

漁獲量が増えた平安時代には、干物の生産量も増えました。当時、「干物」は「からもの」と読まれていたようです。

干物は当時、貴族など位の高い人々の間で食されていました。

一般庶民の間に普及したのは江戸時代。

江戸、大阪など大都市周辺の漁村でアジ、イワシ、タコ、イカなど様々な干物が作られました。

各地の大名は幕府へ献上するため、干物づくりに精を出しました。藩の産業振興としても奨励されたため、競うように作られます。

とはいえ当時は流通が未発達で冷蔵庫もなかったため、腐敗を防ぐために塩を大量に使用し、魚をしっかりと干す必要がありました。そのため味はしょっぱく、食感は固いものが一般的でした。

一方、現代では塩分控えめで、干す時間を短縮した半生タイプのものが好まれています。

2017年、干物専門店を運営する「株式会社 太助」(愛知県名古屋市)が1月10日を「ひものの日」に制定。干物の「干」は「一」と「十」である事から、毎年一月十日とされています。