1分で分かる昆布の歴史、レッツ・スタート!
昆布の由来は定かではありませんが、アイヌ民族が「コンプ」と呼んだものが一度中国に渡り、その後外来語として日本に逆輸入された、などと言われています。
遣唐使は唐で様々な事を学びましたが、その中で昆布だしなどについても学んで来たようです。
平安時代には「延喜式」や「倭名抄」に昆布についての記載があり、貴族が昆布を食べていた事がうかがえます。
海藻類は租税としても扱われました。昆布は朝廷によって役人や社寺に支給され、神社では神官の給与として渡されました。
鎌倉時代には昆布だしを使う精進料理が広まります。昆布の交易船が北海道~本州間を往来する事が多くなったのもこの頃です。昆布はこの時代から、庶民にも広く食べられるようになっていきました。
寺院では、進物の熨斗(のし)の代わりに「昆布」と書くようになりました。のしを付けて返すと「喜んで(よろこんぶ)お返しする」という意味になります。
戦国時代には戦の際の「陣中食」としても活躍しました。昆布を細かく切り刻んで醤油で煮込み、竹筒などに詰めて携帯したり、もしもの時の籠城に備えて城内に昆布を貯蔵したり、時には壁の内部にも詰め込んでいたようです。
必勝祈願の願掛けでは「一に打ち鮑(あわび)、二に勝栗(かちぐり)、三に昆布」と言い、「敵に打ち勝ち喜ぶ」という意味が込められた特別なものでもありました。
そんな昆布は慶事に欠かせないものとなり、お正月の鏡餅の上にも飾られるようになります。
江戸時代には、昆布を積んだ船が下関から瀬戸内海を渡って「天下の台所」大坂へと運ばれました。昆布はやがて江戸や九州、琉球、そして中国の清にまで運ばれるようになります。これらの航路は「こんぶロード」と呼ばれます。
こんぶロードでは、昆布が各地で食文化に影響を与えました。たとえば大坂のつくだ煮、沖縄の豚肉や野菜との炒め物・煮物など各地で独自の食文化が生まれ、加工品による商売も盛んになっていきました。