1分で分かる日本人とたまごの歴史、レッツ・スタート!
にわとりは弥生時代から日本にいましたが、卵が日本で一般的に食べられるようになったのは江戸時代以降のようです。
その理由としては、卵は神秘的なものとして信仰の対象とされていたため、食べると祟りがあるなどして恐れられていた時代が長く、また仏教の教えにより食べる事が禁じられるなどした為です。(とはいえ、仏教が浸透していない庶民の間ではこっそり食べられていました。)
室町時代には卵を「生き物ではない」と見なす風潮が強まり、殺生戒のおとがめなしで卵を口にする事が出来るようになりました。
カステラ・ビスケット・パンなどがキリスト教とともに日本へ伝来したのもこの頃です。神父さん達が日本の人々に作り方を教えました。
江戸時代には天秤棒を担いでたまごを売り歩く「たまご売り」が登場。
当時たまごはとても高価で庶民には手の届かない高嶺の花でしたが、江戸時代の料理本には黄身と白身が逆になったゆでたまご、黄身の代わりに餡をつめたゆでたまご、竹の子に卵液を流し込んで蒸す料理など面白いレシピが色々掲載されています。
また、泡立てた卵を調味料と合わせて火にかける料理「玉子ふわふわ」は、三代将軍家光や近藤勇も食べたという記録が残っています。
食生活が多様化した明治時代、卵料理は和食における地位も確立しました。
さらに大正時代にはオムレツのように洋風の料理が家庭でもよく食べられるようになり、和食・洋食のどちらでも卵が活躍。
そんな中、1925年にはマヨネーズが発売されました。最初はポマードと勘違いされる事もあったほど日本人に馴染みがなかったマヨネーズですが、主に家庭の調味料として広く浸透していきました。
高度経済成長期には、子供に人気のあるものとして「巨人(野球チーム)・大鵬(力士)・玉子焼き」という流行語が生まれます。
そんなたまごは現在も、家庭においても外食産業においても無くてはならない存在になっています。