手間ひまかけて作られた美味しい「ころがき」。食べられるのは期間限定?
11月。宇治田原町では「柿屋」という棚を刈り取りの終わった田んぼに建て、その上に柿が並べられます。
全国でもとても珍しい柿屋。宇治田原町ではこの季節の風物詩になっています。
一般的には柿屋の上で柿を15~20日間干し、そのあと柿屋から下ろしてさらに1週間干します。
こうして出来た干し柿「ころがき」は、例年だいたい12月中頃~翌年1月頃に販売されています。
「ころがき」を作るのはとっても大変!
ころがきの天敵は、なんといっても雨!
外で干している柿が雨に濡れない様にしなくてはいけませんが、雨が降ってから柿を移動させていては間に合いません。
そのため、雨が降りそうだと思ったら早めに移動させなくてはいけないのです。
柿を収穫したり柿屋を建てたりと体力も使いますが、気力も使う大変なお仕事なんですね。
ありがたく、いただきましょう。
「ころがき」を漢字で書くと?作り方を教えてくれたのは…?
「ころがき」には色んな漢字表記があります。
一般的によく使用される「古老柿」という表記。
これは「お年寄りが作り方を伝えているから」とも、「『鶴の子』という品種の柿を使うので、『鶴』から『長寿』を連想し『古老』になった」とも言われています。
また、「作る過程でころころ転がす」ので「ころ柿」と書かれることもあります。
可愛らしいですね!
そして「孤娘柿」という漢字についてはこんな伝承があります。
むか~し、むかし。
しぶ柿「鶴の子」は食用として使われていませんでした。
ある時、一人の美しい娘さんがどこからともなくやって来て、甘くて美味し~い干し柿を作り、その作り方を村人に丁寧に教えてくれたそうです。
美しくもミステリアスなその娘さんがどこへ帰っていくのか気になった村人は後をついて行きました。
するとその娘は禅定寺の近くでスッと姿を消したそうです。
村人は「あの美しい娘さんは禅定寺の観音様だったに違いない」と考えました。
以来、その干し柿を「ひとりの娘の柿」という意味で「孤娘(ころ)柿」と呼ぶようになったという事です。
「ころがき」については、はっきりと漢字や由来を示す文書が残っているわけではありません。
でもそれもまたロマンがあると思いませんか?
「ころがき」についてあれこれ話しながら食べると、より楽しく美味しく食べられそうですね。
(こちらの記事は以前ALCOに掲載したものです。)